海女のふんどし
海女の使うふんどしの名称は場所により呼び方が様々で、海女発祥の地として知られている鐘崎では「いそこべ」、曲の海女は「ヘコ」あるいは「イッチョベコ」、そして能登半島北東50Kmのところにある舳倉島の海女が主に使用してふんどしは「サイジ」という特別な名前で呼ばれておりました。サイジの語源については諸説あり、確定されていません。このことについては「ふんどしの話」(JABB出版局)という本に少し解説が出ています。
舳倉島の海女
この舳倉島の海女について写真集が出ています。「海女の島」(未来社刊/マライーニ著)という本です。 その中から冒頭の画像の一部を拾って見ましょう。
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これを見ると、舳倉島の海女たちは本当にふんどし(サイジ)一丁で漁をしていたことが判ります。胸を隠すこともなく堂々としており、後ろは完全なTバックです。
下の写真はふんどしを着用した海女の映像をキャプチャーしたものです(昭和6〜8年・石川県)。 この海女達もやはりなかなかに逞しく、ふんどし一丁で陽気なものです。なんだかそんな映像を見ていると、女ふんどしばかり追い回しているこちらの方が却って気恥ずかしく、後ろめたくなる・・・程にヤワで純情ではないのですよね、我々も!
フジテレビ:「奥能登 女たちの海」より
サイジについて
サイジを詳しく見てみると、越中褌の前垂れを短くしたものと同じ構成になっていることがわかります。但し通常の越中褌は前垂れを腰紐の内側から通して外に垂らしますが、サイジは前垂れを内側から外側に出して腰紐に巻き込み固定させるものと、その逆に外側から内側に巻き込むものと、海女さんの好みによって二通りあることがわかります。(総じて外側から内側に巻き込む方が多いようです)しかしいずれの場合も股布は腰紐に巻き込んで固定させただけとなっています。
この所謂「前ミツ巻き込み固定式」はユルまなかったのでしょうか?いや、やはり我々の心配(期待?)通りゆるんだと推測されます。サイジがユルみ、外れそうになったり、横チンならぬ「横マン」になりそうなのを必死に頻繁に修正していたようです(⇒丁度柔道の試合で、選手がしょっちゅう乱れた道衣を帯の中にしまいこむ込むのに似ていますな・・・)。
と申しますのも、このマライーニの限られた写真の中だけでも、ユルフンを直しているところが何枚か写されているからです。
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前出の「ふんどしの話」でも解説されているように、サイジの股布の後部は全部が布ではなく、途中から何本かの紐になり、その紐が腰紐につながっています。ここに命綱や貝金(「かいがね」と呼ばれる3キロほどの重さの鉄製のへら)、はちこ(鉛で出来た重り)などをつけることができるようになっています。
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前ミツの幅をもう少し狭くしてくれると、かなりエロチックになりますが、後ろ姿は完璧に一本の紐状となって尻に食い込んでおり、完璧なふんどしです。このサイジというシロモノは、いつ誰が考案したのでしょう。このサイジの成立過程に非常に興味がそそられます。
映画(色情海女ふんどし祭り・1981年にっかつ)ではこんな海女が登場するのですが、ここまで本格的(?)なのはちょっと現実的には無理なのでしょうか・・・。
全ての海女がふんどしをしていたという訳ではないようです。たとえば志摩半島の海女も有名ですが、ここはまた独自の風俗があったと思われます。(⇒志摩半島の海女についてはこちらをご覧ください) 下の絵は江戸時代頃の海女の様子を描いたものと思われます。
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「海女のふんどしについて」のページでは更に海女や海女ふんどしについて100枚以上の写真とともに詳しく考察していますので、是非ともご覧ください。
