皆様は「女褌」という言葉からどのようなものを想像されるでしょうか。女性専用の下着として「女褌」というものがあるとすると、ものすごくエロチックなものを想像するのではないでしょうか?ここではマジメにその「女褌」について解説します。資料写真はありませんのでご承知おき下さい。

 

●最初に結論から申し上げます。「女褌」とは判り易く言えば、腰巻のことを指します。時代時代で腰巻そのものの意味するところも実は下着だったり、着物の一部だったりするのですが、ここでは腰巻=女性用下着と位置づけて話を進めます。


●女褌には腰巻以外にもいくつかの言い方があります。湯文字、いまき、谷地隠し、二布、下裳、脚布、緋縮緬、蹴出し、肌帯・・・等々。
⇒「物類称呼・巻の四」には女褌の方言について次の記述が見られます。
「二布、女の身に近く腰をふさぐ具なり。京にてキャフといふ。畿内及び美濃、近江にてユグといふ。西国にてユノモノと云ひ、上総にてミミネと云ふ。江戸にてシタオビ又はユモジと云ふ。陸奥にてコシマキといひ、津軽にてはヨマキと云ふ。」


●湯文字
「湯文字」とは湯具の女性言葉です。(⇒「オクモジ」について) 御殿勤めの女性が湯具とあからさまに言うのを憚り、「ゆもじ」と言うようになりました。それが一般用語として広まり、更に訛って「いもじ」などと言うようにもなりました。


●湯巻
この湯具の別名は「湯巻」ですが、それが転訛して「いまき」とも言います。「松の落葉」(文政12年)には「遊まき」と、また「安齋随筆」(伊勢貞丈)には「今衣」という漢字が当てはめられていますが、その意味するところはすべて同じです。「宇津保物語」には「ここは湯殿のところ すけのおとど、すずしのうちぎ、ゆまきして湯殿にまゐる」とあるように、この「ゆまき」はエプロンのような役目をしていたと思われます。


●谷地隠し
「谷地隠し」の「谷地(やち)」とは女性性器のことであり、女褌はそれを隠すためのものであるという意味です。


●二布
「二布(ふたの)」とは布二巾を横に縫い足して女褌に用いたことによります。この二布に紐をつけて腰に回して用いるのが一般的でしたが、紐のないものもありました。(⇒後述「腰巻の紐について」参照)


●下裳
「下裳(したも)」は下袴の意味となります。


●緋縮緬
江戸時代、日本では脚線美というよりも、女性の白い足が着物の長い裾からこぼれ出る姿を非常な魅力と感じていました。それがために腰巻の色も白から赤(緋縮緬)にすることで、なお一層白い足を際立たせようとしたのです。


●蹴出し
「蹴出し」というのは普通の湯具の上に更に色模様の布を巻いたもので、裾からちらつかせて、男性の目を引く効果を狙ったものです。


●肌帯
「犬子集」(寛永)には「別れを惜しみ引くはだの帯」という記述があります。これは恋人同士が別れの際に男が女の腰巻を記念に要求したということです。これをもじった小噺に、下女といい仲になった男が別れに際して下女に常時手放さないものを形見にほしいと要求したところ、火吹竹を渡されたというものがありました。


●女褌の色(赤白)について
明和安永の頃の江戸では町人文化の爛熟期を迎えました。この頃の芝居の流行がそのまま女褌にも反映され、一時は浅黄の女褌が流行したり、女性が足の上の方まで白粉を塗ったこともありました。上記では白い足を目立たせるために、意識して女褌を赤に変えたと書いていますが、実は元々女褌の色は大別して白と赤に分けられ、白は一般女性用に、赤は商売女用とするのが一般的でした。しかし(いつの時代もそうでありますが)いわゆる「素人っぽい玄人」というのがもてはやされたことにより、白の女褌を着けた商売女が登場するに至りました(⇒その昔、関西で商売女のことを「白湯文字」と言ったことがあります)。


●腰巻の紐について
白い布で作られた素人用の腰巻には大抵紐が縫い付けられており、後ろより前に回して結ぶのが一般的ですが、赤い腰巻、特に商売女用にはこの紐が着いておらず、腰に回した腰巻の端を折って挟み込むだけでした。つまり商売女などがこのような腰巻を厳重に結んでおくのは却って野暮ったいものであり、見た目にも興醒めであったためではないでしょうか。


●越中褌にまつわる雑学:

 ☆川柳2首

 「越中がはづれて隣りの国を出し」

  ⇒これは包茎の異名を「越前」と言うことがある、ということを知っていれば、自ずと理解できます。つまり越中褌が外れて男根が(それも包茎の)露出してしまったということです。

 「越中を女房がすると事を欠き」

 ⇒昔は女性が生理の時に締めた生理帯が越中褌のようなものであったことに引っ掛けて、女房が生理の時はセックスができない、ということを詠んだものです。

 ☆越中褌の考案者は誰か?

 (1)その昔、越中の殿様は大変倹約家であり、六尺褌の布が勿体無いということで、その半分の布で済む褌(=越中褌)を考案したという説。⇒この解釈が一般的ではないかと思いますが、次のような説もあります。

 (2)吉原の越中という機知に富んだ芸が、お客の褌が入浴中に紛失したので、自分の褌(=女褌)を外して紐で結んで客に与えたことによるという説。⇒こちらはなかなか味のある説です。「みをつくし」(延宝)にこのことに触れている記述があり、それによるとこの越中という芸妓は、吉原の木村屋又七郎の抱え芸者だったとのことです。

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