ふんどし式か腰巻式か?
今日我々がよく目にする海女の服装というものは白い上着にやはり白いズボン状もしくは腰巻状のもので、つまり上下ともに白装束というものが一般的ではないかと思います。
しかし歴史を詳しく調べてみますと、この白装束は、時の当局(大正時代)が「風俗上よろしからず」という判断のもと、上も下も布で覆い隠すように指導した結果のものでした。何が「よろしからず」だったのかと申しますと、ふんどし・・・ではなく、上半身がむき出しの、「おっぱいポロリ」の裸が「風俗上よろしからず」だったということです。 つまり昔の海女は下半身は腰巻であれふんどしであれ、いずれにしても上半身は裸だったのです。
元来太平洋側の海女の装束は腰巻が一般的ですが、日本海側の一部ではふんどしが用いられてきました。また岩手県久慈市宇部町にある小袖集落は「北限の海女」で有名ですが、ここでも海女が「カリマタ」と呼ばれるもっこふんどしを着用していました。
海女がふんどしをしていた地域とそのふんどしの名称は次の通りです。
@福岡県鐘崎 ⇒「イソベコ」
A山口県対馬市厳原町曲(まがり) ⇒「ヘコ」
B山口県大津郡油谷町(通称「大浦の海女」)⇒「エッチュウベコ」
C石川県輪島市舳倉島 ⇒「サイジ」
D岩手県久慈市宇部町 ⇒「カリマタ」
E鹿児島県奄美市奄美大島 ⇒「クロタヅナ」
◆「ヘコ」とは九州地方の方言で「兵児」即ち若者(男子)を指しますが、その意味が転じて帯(兵児帯)やふんどし(六尺褌)をも意味するようになりました。 舳倉島で呼称されている「サイジ」という名前の由来は今のところよくわかっていません。⇒参考:舳倉島について
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これ以外の地域では、太平洋側、日本海側を問わず腰巻が用いられていました。これらの腰巻は「スミマキ」とか「ナカネ」、あるいは「イソナカネ」「イソコシマキ」などと呼ばれました。
日本海を隔てた韓国済州島でも昔から潜水漁が盛んでしたが、こちらでも海女(=ハイニョウ)の装束はふんどしではなくパンツ状のもの(ソーチュンギ)を使用していました。これは藍色の木綿からなっており、前面は胸まで覆われていましたが、背中は大きくえぐれていました。
残念ながら現在ではウェットスーツの発達もあり、ふんどし一丁で漁を行う海女は既に日本ではその生息は確認されておらず、絶滅したものと思われます(絶滅する前にユネスコに保護を求めるべきでした・・・)。
ふんどし着装の理由
太平洋岸に比べて日本海岸の漁場は一般に海が深く大抵は船を利用して潜りに出ました。稼ぎ場の広い洋上でできるだけ身軽な支度で潜る必要があったものと思われます。また深い場所に潜ると、水圧により、わずかな潮の流れでもかなり身体が流されます。しかし素肌にふんどし一丁という格好の場合、かなり潮流の抵抗が軽減されます。また船上に上がった海女の身体を素早く乾かすためにも、濡れた布はなるべく少ない方が効率的でした。もとより貴重な布ですからなるべく少ない方が経済的であったという理由もありましょう。![]()
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海女ふんどしの形状
海女のふんどしは見た目よりも実用本位でした。なるべく少ない布で陰部を隠し、それ以外は腰に回した紐に命綱や採集道具を結び付けました。基本形状は「越中褌」と考えるのが適当でしょう。◇イソベコ
形は越中褌と同じ。約1.8mの細い紐の真ん中に幅30cm、長さ60cmの晒しの布を縫い付けたもの。1.8mの紐を腰に回して前で結び、晒しの布を後ろから股をくぐらせて臍下で腰紐に巻きつけて固定させる。
◇ヘコ
これは次の「サイジ」とは対照的に、90cmの腰紐部分の先に陰部を覆う布を(25cmx40cm)数本の細い紐で結びつけたものです。締め方は六尺褌に似ています。90cmの腰紐のうち、布の縫い付けてない方で、結び目が丁度尻尾のように後ろに来るように、腰の周りに結びつけます。尻尾の部分から伸びた数本の細い紐を尻から前に通すと、丁度陰部を布が覆うようになります。この布はやはり臍下部分で腰紐に巻きつけて固定します。
◇サイジ
約40cm四方の木綿の布の一片に数本の細い紐を縫いつけ、その細い紐をまとめて一本の太い腰紐に結び付けます。締め方は越中褌と同じです。上記「数本の細い紐」部分が丁度尻に食い込むように締め込みます。サイジの表面には下図のように、様々な模様の刺し子を施し、強度を高めました。大体1枚のサイジで2,3年は使用可能だったようです。
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これらの海女ふんどしの形状ををまとめてみると:
・腰紐部分は太い紐でできている(命綱や採集道具を挟むため)
・尻に食い込む部分は細い数本の紐(但しイソベコは例外)
・陰部を覆う布の幅は30〜40cm(陰毛がはみ出ない幅)
・素材は木綿
ということになります。
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海女ふんどしの模様 〜怪異と迷信〜

海に潜る海女は、海中で色々な不思議、怪異なことに出会いました。それらの怪異を避けるために「魔よけ」として様々の呪い(まじない)があり、海女ふんどしにその呪いを模様として描いたのです。
◇海女の不思議 「ともかづき」
自分が海に潜っていると、その前方を、あるいは自分より深いところを別な海女が潜っているのを見つけることがある。自分の他には誰もいないはずだったがと思い、海上に出て周りを見渡していても、一向にその海女が息継ぎに上がってくる様子もない。不思議に思い、また海中に潜ると、やはりその海女が自分の前にいる・・・。この現象を「ともかづき」という。この海女から採集物を貰うと、命を奪われてしまうと言われている。
海に潜った経験のある方ならおわかりなる、なんともありそうな話ではないでしょうか。海上はたとえ快晴でも、海中は陽射しも弱まり、岩の陰には何か得体の知れない魔物が潜んでいそうな気配がする。更に海中での無重力状態が、海女に海の不思議を垣間見させる・・・、そういった海女の不安が描き出した「ともかづき」です。
◇「ともかづき」とは?
ともかづきの「かづき」は「かづく」から派生しています。
わが国では裸で潜水することをモグル、ムグル、クグルと言ったり、カツグ、カヅクと言ったり、またはスム、ホムなど、地域によって違いがあります。次のページでは潜水することの呼び方、並びに1回ごとの潜水作業の呼び方を地域ごとに一覧表にしてみましたので、参考にしてみてください。
休憩時のふんどし
腰巻式の海女も休憩時にはふんどしをしたこともありました。 海中作業を続けていると、当然のことながら体温が奪われます。そこで海岸に「海女小屋」と呼ばれる小屋を建て、そこで火を燃して暖を取り、休憩したのです。その際、一部の海女は濡れた腰巻を脱ぎ、「イッチョコ」と言われる越中褌を締めていました。海女はこのイッチョコ一枚で火に当たり、お茶などを飲みながらおしゃべりをし、身体を休めたのでした。海女小屋はトヤ・アタリベ・アタリゴヤなどとも呼ばれました。
観光海女
海女の操業する姿はなんとなく艶めかしく、また旅情をさそうものらしく、古くから観光客の目当てともなってきたようです。そこで一部の若い、また容貌の整った海女は潜って採集するだけでなく、その操業する様子を観光客に見せるようなことも行いました。このような海女を観光海女あるいはモデル海女と呼んでいます。一部の観光海女は岸に近い、浅瀬の海に潜り、海底に隠してあったアワビやサザエを取ってきては観光客に見せたり、一緒に写真に写ったりしていました。このような観光海女は志摩の鳥羽を中心に発達し、やがて福井県東尋坊、千葉県御宿などに広がっていきました。石川県の舳倉島の海女も観光対象とされたのです。
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